博多祇園山笠
博多祇園山笠の起源は諸説ありますが、
一番有力とされているのが、鎌倉時代、仁治2年(1241年)博多で疫病が流行した際に承天寺の開祖・聖一国師(円爾)が町民が担いた施餓鬼棚にのって、祈祷水を撒きながら町を清めてまわり、疫病退散を祈願してまわったことを発祥とするという説です。
古い書物にもいくつか承天寺と山笠との関連性を立証する記述が見られ、
清道を設けて山笠を奉納するのは、その時のお礼参りなのだと言われています。
他にも、この説には、現在の山笠との類似点が多く見られ、山台と施餓鬼ととがよく似ていること、車輪のついた山車ではなく、車輪なしの台をかつぎあげて走り回るスタイルであること、”祈祷水”が”勢い水”に転じたのではないかと考えられることなどがあります。